【OBインタビュー】テニスファクトリーテニスショップNOBU経営 八田修孝さん(昭和54年卒)

こんにちは、青山学院大学硬式庭球部 HP委員会です。

本日は表題の通り青山学院のOBでありテニスファクトリーテニスショップNOBU経営 八田修孝さん(昭和54年卒)にインタビューを行いましたので紹介させて頂きます。

テニスを始められたきっかけと、青山学院テニス部に入られた経緯について教えていただけますか?

「ボクは群馬県伊勢崎市の織物業を営む家に生まれ、反物製造の工場もある自宅敷地内に、休日にテニスコートを作って、10歳の位から両親や周りの大人の人達を相手にテニスを教えてもらいました。その後私立の新島学園に進学。寮生活をし、インターハイ、国体などに出場しました。学校の先輩で青学テニス部と関係のあった方に誘われて、体育会選抜の入試を受けて入学しました。」 

大学時代はどのように過ごされたのでしょうか?

「入部初日に綱島のコートに行くと、まず坊主にしてこいと言われて。入学式の前に坊主になったのがショックでしたね。オールジャパンの女子の先輩と『サーブは1本、ネットに出ちゃダメ』な試合で負けたら坊主、とかそんなのばかり。もう切る髪の毛もないのに、品行が悪かったこともあり、3年生までほとんど坊主だったと思います。情けない話です(笑)。卒業してから1つ上の代の方から3つ下の代までで、『Kids Cup/お子様ランチの会』と称して、1年に1回は集合して皆でテニス(シングルスのトーナメント)を20年くらい続けていました。」

 ―今のお仕事をされるようになったのはどのような経緯なのでしょうか。

「ボクは、体育会庭球部の部員として4年間はしっかりと部活動をして、そのあとは留年して、普通の大学生活も送ろうと思っていました。5年目、6年目は親から援助してもらわずに、テニスショップでアルバイトしたり、テニスコーチをしたり、弟が留学していたアメリカに行ったりとしながら留年生活をエンジョイしました。そのうち、ボクはテニス以外のことは何も知らないし、テニスを通じた友達ばかりだし、これからはテニスに関わるビジネスをしようと考えました。」

「それで、まずは地に足がつく印象を持ってもらえるようにとテニスショップを持つことにしました。それも、既成ではないオリジナルのモノを作って、テニス仲間や友達が遊びに来て、おしゃべりをする中で、テニスに関わること、例えばテニスキャンプやトーナメントの企画などを引き受けていけばいいんじゃないかと。開店のときもたくさんのテニス雑誌に取り上げてもらったりしましたよ。そういうネットワークを現役引退後の2年でつくったんです。開店から20年後には、日本テニス協会の広報委員長と云う立場で協会主催の大会でのメディアディレクターなども15年ほど務めさせていただき、おかげさまで去年40周年を迎えました。」

おめでとうございます。お店の名前はどのようにして決められたのですか?

「グラフィックデザイナーの友達が、『店の名前はNOBUでいいよ』って。でもボクは反対でした。だって『はい、NOBUでございます』って言うの恥ずかしいでしょ。(笑)でも他の友達もNOBUしかねえだろって。」

―ご自分の学生時代のことから、現役のテニス部員に何かアドバイスなどあれば…

「テニスを頑張るのはもちろん、遊びもやる。趣味もつくる。勉強はそのあとくらいでもいいと思う。もっと自分でアンテナを張り巡らせて他のことにチャレンジすれば楽しいんじゃないかな。自分が学生であるという特権を使って、時間がもったいないと思えるくらいに色々してほしい。絶対にこの4年間は帰ってこないのだから。でもそれってみんな大人になってから気がつくんだけどね。(笑)

八田さんがそのように幅広いネットワークをお持ちになれたのはなぜなのでしょう?

「いやボク『たらし』だから。(笑)自分から話しかけなくても向こうから誘われるのよ。40年間仕事していて、一度も『仕事ください』って言ったことないです。営業にも1度も行ったことがない。どうしてそうなのかはわからないけれど、向こうから話が来るの。そして、来てくれた人に対しては拒まないし、相談されたりお願いされたりしたことは、たとえそれが1円にならなくてもベストを尽くす。だから、もう一度言うけど、自分の餌になるものを狩りに行かなきゃだめ。だらだらしてたらあっという間にサラリーマンになっちゃって、後は企業の人になるだけ。ボクも今大学生くらいになってみたい。ボクなんてテニス部卒業してからの方がテニスうまくなったからね。義務連よりも、時間の使い方を考えてテニスした方がずっとうまくなるし、テニスに対する考え方も変わってくるわけです。」

青山学院テニス部も、100周年を迎えるわけですが。

「会費を払っていない人の多さに驚きます。ボクなんかテニスで仕事しているから、大学時代はお世話になったなあと思うけれど。きっともうどうでもいい過去なのかな。男子はシングルスで勝てる選手が出てくると大きいと思います。ダブルスは結構うまいけれど、シングルスで勝てないとだめかな。100周年に向けて盛り上がるためにも是非頑張ってほしいと思います。」(終)